家づくりカフェ31 ~設計~
こんにちは!設計士の白岩です。
先日、建築学科の学生さん達の前でお話しする機会がありました。
テーマは「住宅の設計」
つまらないノウハウを話すつもりはないので、この話題になると必ず思い浮かべるのが、故・吉村順三先生の言葉。
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「建築家として、もっともうれしいときは、建築ができ、そこへ人が入って、そこでいい生活がおこなわれているのを見ることである。
日暮れどき、一軒の家の前を通ったとき、家の中に明るい灯がついて、一家の楽しそうな生活が感じられるとしたら、それが建築家にとっては、もっともうれしいときなのではあるまいか。
家をつくることによって、そこに新しい人生、新しい充実した生活がいとなまれるということ、商店ならば新しい繁栄が期待される、そういったものを、建築の上に芸術的に反映させるのが、私は設計の仕事だと思う。
つまり計算では出てこないような人間の生活とか、そこに住む人の心理というものを、寸法によってあらわすのが、設計というものであって、設計が、単なる製図ではないというのは、このことである」
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住宅は、建築の中で唯一、住む人個人が主役になれる場だと思います。
それ以外の建築はどうしても、個より公共の利益を優先しなければならない。
しかし、個人の住宅だけは、人間一人一人の尊厳のようなものが守られる建築だと思います。
ゆえに私は、個人住宅の設計が最も好きです。
一軒一軒の家が集まると街になり、風景になりますから、もちろん全体の調和も考えなければなりません。
しかしそれは、「その場所に住む」と言う事を丁寧に考えさえすれば勝手に調和されます。
そこに住むのが誰であろうと、ここは日本であり、その場所性は変わりませんから。
もし、調和を乱す住宅があるとすればそれは、設計が間違えているか、売り方が間違えているか。という事なのだと思います。
その場所で、そこに適した素材で、住む人の尊厳が守られる家。
吉村先生は、設計という言葉だけでなく、「デザイン」や「芸術」という言葉もたくさん残しています。
私は、個々の設計や法規制だけでなく、調和や社会、風景、文化、暮らし、そして、感情。
それらを含めたトータルデザイン。
なぜ、建築が総合芸術と言われるのか。
それが、吉村先生の仰る「設計」なのだと思います。
今、その「設計」が出来ている人が世の中に何人いるか。
それを売っている住宅会社が果たして何社あるか。
そんな自分はどの位置にいれているのか。。
学生に話しながら、己を省みていました。
広く世の中全体を見ながら。
深く己の内面を感じながら。
精進してまいります。
それにしても、目指しがいのある職能ですね。
あと100年はかかりそう。。笑
写真は、このテーマの時にいつも私が見せる写真。
スカイハウス/菊竹清訓 1958年
私が建築家を志すキッカケとなった住宅です。
住宅も、そこでの皆さんの暮らしも、そこで育つ子供たちの未来も、可能性にあふれています。
ぜひ、家への夢と未来への希望を描ける、そんな住宅を手に入れて下さいね。