こんにちは!空間クリエイターの白岩です。
毎日暑い日が続きますね(;^_^A
でも、、、実は50年前と気温はほとんど変わっていないって知ってました??
もちろん観測点は丘の上の環境状況が安定している場所にあるので、「気温」は変わってなくてもコンクリートジャングルの蓄熱効果やアスファルト路面の照り返し、車や機械の排ガス量は跳ね上がっているでしょうから、「体感温度」はだいぶ変わっているとは思いますが、地球環境そのものは変わってなかったんです。。
この「体感温度」という考え方が家づくりにとってもとても重要になってきます。
50年前と変わっていないのになぜテレビでもなんでも口癖のように「昔はこんなに暑くなかった」と言っているのか。
最大の原因は「温度差」による「体感温度」です。
クーラーがんがんの部屋からいきなり外に出たら、猛暑日でなくとも暑く感じます。
甘い物を食べた後に辛い物を食べたら、いつも以上に辛く感じます。
人間の体は環境に適応するように出来ていますから、私たちが感じているのは気温そのものではなくて、温度の「差」なんですよね。
数値ではなく「感覚」です。
家もそうです。
本当に大切なのは、耐震等級がいくつだとか、外皮熱貫流率が0.6だとか、材料が何だとかではなく、その先にある「空間の心地良さ」です。
性能の数値も、材料の成分も、何もかも、全ては住む人が心地良いと感じるための手段であり目的ではありません。
決して性能を否定しているわけではないですよ。その先にある目的がしっかりと無ければ、性能は机上の数字遊びになってしまうという事です。
(家は性能。のキャッチフレーズで絶好調の某大手ハウスメーカーにも知人がたくさんいるのでちゃんと言っておかないと。。笑)
家において考えると、大切なのはどういう性能の箱をつくるのかではなく「どう感じる環境をつくるか」という事です。
それは家をつくるという発想ではなく、「暮らしをつくる」という発想で導かれます。
そう考えると、先人の知恵、日本家屋はよく考えられていました。
その場所を照らす日差し。
時間によって形を変える日陰。
春夏秋冬ごとの風の流れ。
そして、家の外と内をゆるやかにつないでいく「間」という考え方が日本住宅の根源です。
冬は暖かい日差しを呼び込み、夏は強い日差しを遮り、窓を開ければ家全体に風が流れ、障子を開ければ絵画のように草木が映る。
そうやって自然と共生し、自然を利用し、自分たちにとって快適な住環境を創ってきたんですね。
以前ある設計コンペで、十二ひとえの家ってのを設計して最優秀賞を頂きました。
家を日本古来の女性の装束に見立て、寒ければ着て暑ければ脱げるように設計しました。
玄関扉をはじめ、障子やふすまや引き戸を何枚も何枚も設置して、冬は全部閉めて部屋の真ん中で寝て、夏は全部開け放って別荘みたいになる家。
なぜ高い評価を頂けたのか。あの頃は思いの強さだけで前しか見ずに突っ走っていましたが、今なら俯瞰的に良くわかります。
昔の人は、科学的な数値では分かっていなくても体感で分かっていたんですね。
そしてそれが正解だと思います。
そこに住むのはデジタル温度計ではなく、私たち人間ですもの。
学校のテストのように、いつの間にか僕らは正解が一つしかないと、机上の計算機で出た数字がさも正解かのように思い込みがちですが、違いますよね。。。
私もまだ駆け出しの頃はよく、お施主さんと計画敷地にテント張ってキャンプしたり、ブルーシート敷いて一日中酒盛りしたりしてました。笑
一日住んでみないとその場所の事なんて分からないですもの。
今では、朝昼晩の重要な時間帯にピンポイントで何度か行けば分かるようになりましたが。
私はよく、工事現場で猫を探します。
猫って、その場所の一番気持ち良い場所で寝てるんですよね。
冬なら陽だまりで。夏なら日陰で。
昔ながらの大工さんなんかもそれに近くて、大工さんが昼休みに昼寝している所をチェックして、、
「あ、こっちの方が気持ち良いんだ!」なんて感じでその場で設計を変えちゃってその大工さんに怒られたり。笑
でもなんか、住むって、生きるって、そういう事だと思っています。
この場所で、どこが日当たり良くて、どこが風が抜けて、どこが居心地よいのか。
感覚ですから、その時の体調や気分でも変わります。
計算で出た数字に比べればとってもあいまいです。
でもそれが私たち人間で家はその人間のための空間ですから、やっぱりそれで良いと、それが家にとっては正解だと、何度考えてもやっぱりそう思うんです。
デジタルな時代にこのようなアナログな考え方はすごく少数派かも知れません。
でも私はそんな家づくりをこれからも貫いていきますので、共感頂ける方はいつでもご相談下さいね。
健幸工房シムラ 設計/空間デザイン
白岩久知
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