家づくり図書館 番外編 ~あの日から~
こんばんは。設計士の白岩です。
今日は、私にとって、おそらく皆さんの中の多くの方にとっても大切な日だと思うので、少し真面目な内容をつらつらと。。
この内容になると完全に公私混同します。ごめんなさい。
でも、建築にとって、皆さんの家づくりにとって、建築家という生き方にとって、根本的で最重要なことだと思いますので、
あえて家づくりセミナーの題材にさせて頂きます。
東日本大震災から5年ですね。
もう、なのか、まだ、なのか。毎年わからなくなります。
個人的な事を思い出すと、ちょうどあの時は新宿にある設計事務所で保育園の設計を担当していました。
個人住宅を何軒か担当し終え、この保育園で一区切り付け、独立を意識していた頃でした。
あの頃の私は、保育園という子供たちの未来を創る場所を設計していた事もあって、どこか社会の未来にまで意識を発展させ、野望にも似た夢と可能性に意欲を燃やしていた時でした。
そして、2011年3月11日 午後2時46分。
最初はいつもの通り、あ、地震かぁ。なんて感じでした。
そして、「割と強いね」なんて同僚と話しながら棚から落ちそうな時計を持ち上げた辺りから、どんどんとめどなく揺れが大きくなり、まずい!と思ってみんなで外に出ました。
その後は皆さんもご経験された通りです。
揺れがおさまって少しした後、近所の電気屋さんのテレビで流れていた信じがたい映像。。
建築が、家が、暮らしが、生活が、夢が、希望が、人まで、全て流されてしまった数日後の被災地の映像を見て、私は建築が分からなくなりました。
虚しいというか。しばらく建築を考える事ができませんでした。とりあえず仕事は止められないから、図面を無表情で淡々と修正する日々が続きました。
ほんとに何も創造ができなかった。単純に設計が楽しくなかった。何やっても楽しくなかった。いっそ全部放り投げて山にでもこもってしまいたかった。
今でもあの時の感覚を思い出すと、胸がなんか変な感じになります。
私は福島県が地元という事もあって、あの後色んな人から心配の連絡やあたたかい言葉を受けました。
卒業以来連絡もしてなかった古い友人たちとも連絡を取り合いました。
全く知らない人たちとも、色んな形で何らかのコミュニケーションが生まれました。
なんというか、みんなに共通の目的ができたというか。。。
それまでは、IT革命、インターネットによる情報化社会になって、個人の力が社会に直結する時代でした。
事実私も、インターネットを使えば世界中の設計コンペに参加できたし、日本中の人々に営業ができ、従来の設計だけでなく様々な住宅産業ビジネスの展開も見込め、一人で何でもやっていけそうな手ごたえを感じていました。
でもあれほどの自然の力の前では建築も自分も全くの無力だという事を、まざまざと見せつけられました。
それから私は一人で独立する事を止め、仲間やチームを求めるとともに、家を単体で考える事をしなくなり、今こうして皆さん家づくりのお手伝いをしています。
この5年の間に色んな仲間や同志、先輩に出逢いました。
住宅設計からの様々な発展、暮らし全体への展開、地域社会への貢献。
皆さんの毎日の生活全体を彩る様々なモノやコトが見えて来ました。
物としての家ではなく、建築物としての住宅でもなく、人の暮らしの場としての住まい、毎日の生活環境を。
一人の建築家による作品ではなく、家づくりのコラボレーションチームによる○○さんの家を。
そして、数値やロジックを超えた、単純に「好き」になってもらえる家を。日々の暮らしを。
未来に向かってお届けしていく事を、今日という日に誓いたいと思います。